ノベライズリプレイ

 凶月の夜

文責:猫森 皐
原作:TIMA & Players



登場人物

カイ:極めて俊敏な身体能力を持つ若きファイター。
ウェイズ:知識神の神官であり魔術師。他にも様々な能力を併せ持つ。
ラピス:半妖精で大地母神の神官。生真面目な性分。
フェイ:エルフ族の専門盗賊。魔法剣を所持。
ドーン:人間の老魔術師。三毛猫の使い魔を所有。実は堅実。
アレン:半妖精の魔術師。使い魔は鴉。無口かつ激しく投げ遺り。
ファンデンホーヘンバンド:ドワーフの神官戦士。だが、読解が不能(爆)。
ジョアンナ:魔術師ギルドに籍を置く高位魔導師。
マリア:精霊使いの歌謳い。ジョアンナの妹。





1.受諾

 冒険者とは、世にある様々な厄介事を見付けては首を突っ込み、解決乃至その協力を担う事で日々の糧を得る者達を指す。話にも因るが、大抵は荒事の後始末だったりする。
 すなわち、柄にも性格にも問題のある連中が多かったりするわけだ。
 ここ『ダイダロスの欠伸亭』はそんなやくざ者たちの溜り場の一つでもある。アレクラスト大陸の、大都市からは若干離れたこの街にも冒険者の需要や志願者はそれなりに安定した数がある。
 それはさておき──宿屋兼酒場であるところの『欠伸亭』に、ひと組の冒険者が屯していた。一つの厄介事を適当に終わらせた帰り、懐にも若干の余裕があったからといって昼間から酒を喰らって良い法はあまり無いが、そこはそれ、冒険者という奴である。
「しかし何ですね」
 ローブを纏い聖印をさげ、生真面目そうな顔立ちの娘が隣のドワーフを眺めて嘆息した。わずかに尖った耳が少し下を向いている。
「いい加減慣れる事だね、ラピス」
 目付きの悪い、いかにも盗賊然とした娘が素っ気無く応じる。こっちの方は、何も考えずに喜んで酒を呷るドワーフには慣れているらしい。はっきり伸びた耳は強気な印象を更に強くしている。
「そりゃ、フェイさんはそういう性格ですから気にならないでしょうけど……」
 慣れているというより最初から気にしてもいなかったようだ。
 この世界に於ける人種分布では、一般に人間が最も多くを占めている。しかし、人間と交流する亜人や妖精の類いもまた広く存在している。フェイは森妖精エルフであり、ラピスはハーフエルフだ。妖精族と人間、双方の血を継いだ者である。
 エルフ族とは、物質界に帰化した妖精界の元住人である。身体付きは華奢だが活発で、生まれついて精霊を使役し、更に優れた身体能力を持つ。中には未だ妖精界との繋がりを深く持つ種族もいるが、人前に姿を現す事はない。また、エルフは身体的特徴から人間との混血が可能だ。しかし個体の能力はその生まれによって左右される。ハーフエルフと呼ばれる彼らは両種から忌まれる事が多いという。 いずれにせよ、彼らは総じて寿命が長い。
 また、大地の妖精と言われるドワーフ族もまた、人間との交流が深い。ずんぐりした体型で鈍重だが力強く、また非常に手先が器用である。彼らの鍛冶技術や工芸品には高い評価がある。素朴で人当たりのよい彼らだが、何故かエルフとは仲が悪い。個人にもよるのだが。
「何時もの事だよ」
 向かいに座っていた剣士風の若い男が、やはり気楽に応じる。こちらは普通の人間で、動きを妨げるような装備は持っておらず、何時でも駆け出しそうな活気と若気を振りまいている。面倒には慣れていそうだが、若い内は暴走がつきものである事も体一杯に表現していた。この遊撃剣士──カイは冒険者仲間でも随一の素早さを誇っている。
「そうじゃな……酒は百薬の長という。儂もこいつのお陰でこの年まで病気知らずじゃぞ」
「ドーンが言うと説得力が無いようで有るのが不思議だな」
 フェイの茶化しにも泰然として盃を傾ける老人は、足下に黒三毛という不思議な猫を控えさせている。その主も一見ドワーフ戦士と見紛う恰幅ある体格の割りに、魔術や神学等に博学且つ細やかな一面を持つという不思議な人物である。
「ラピスも気に病まんで、少しはファンを見習うも良いかと思うがの」
「……なんで読文の出来ない人に神官の力があるのでしょう」
「ん?俺の本業はこの腕だからな。神聖魔法は前線へ立つ俺への神からの賜り物だ」
 先程から話題に上りつつも、やはり何も考えずにいるドワーフ戦士、ファンデンホーヘンバンド──彼は己の名前にだけはこだわりを持っていたが、仲間から「長過ぎ」と言われファンと呼ばれている──が会話に参加した。
「まあ、特技は多いにこした事はない」
 "多趣味の男"の異名を(仲間から)持つウェイズはその二つ名が示す通り、神学、魔術、盗賊、果ては詩人としての技術さえ嗜んでいる。
「君のは多過ぎだ。そんなことだからどれも半端になるというのに」
 こういう評価も何時もの事である。その傍らにもう一人、ローブの男が黙って首肯する。
 何かと無口で存在感が無いが、それなりに修練のある魔術師である。名をアレンという。その肩に一羽の鴉を乗せたまま、どこか他人事のようにパーティを一瞥する。ついでに、使い魔の方も他人事のような顏をしている。鴉の表情など読めたものではないが。
 魔術師も熟練すると彼のように使い魔を使役する事が出来る。使い魔となった動物は、本来の知能を遥かに越えた意識を持ち、両者は常に感覚を共通し、交信する。魔術師の視覚や聴覚をもって、動物の身体で行動なんて事も出来るのだ。ただ痛覚も共有しているので必ずしもメリットだけあるわけではない。
「そんなことより!昼からこんな所でぐーたらしてていいんですか?ほら、冒険者宿だっていうのに私たちしかいないんですよ!」
「ラピスは根が真面目だからなあ」カイが何事も無い風に流していると、フェイが扉の方に視線を投げた。
「……そんな君の為に何かが来るみたいだが?」
 全員が──ファンを除く──そちらを見ると、何やら気難し気な顔をした衛兵風の男が扉を抜けて来る所だった。男はそのまま酒場の主と何やらぼそぼそ喋り出した。
「なかなか、物騒な話のようだな」
「そのようじゃのう」
「らしいねえ」
 マスターが顎をしゃくり、衛兵らしき男がこちらに顔を向けた。しかし、待ち構えた様な冒険者の様子に若干気分を害したように顔をしかめた。それが素の顔なのかもしれないが。
「……君達、今手が空いていると聞いたのだが一つ内密の仕事を受けてくれないか?」
「物騒な話みたいだからなあ」
「いけませんよ、話はちゃんと聞いてからにしないと」
「かまうまい、話が早いに越した事はないぞ」
「正式な依頼なら受けない事はないが値は張るぞ?」
 口々に勝手な事を言う連中を前に衛兵は額を抑えた。冒険者相手にこの程度でへばっているようでは彼もまだまだのようだ。
「……報酬の件は後でまとめて話す。受けてくれるか?」
 重ねて問う口元も少し引きつっていたりする。新人なのかもしれない。
「いいだろう。詳細を聞かせてもらおうか」
 詳細以外を既に盗み聞きしていたフェイがにやりと笑った。

「実はこの街で今、連続殺人事件が発生している」
 衛兵長を名乗った男はこう切り出した。ここ半月の間に数件の殺人事件が起っていて、そのいずれもがこの街の富豪ばかりなのだという。富豪と評されている人物は12人おり、内5人が既に何者かの凶刃に倒れているらしい。関連性は未だ判然としていないが、事態が事態だけに対策はしなければならない。
「それで、私たちに犯人を追って欲しいのですね?」
「成功報酬で3500、重要な情報があれば一つにつき100から500ガメルを払おう。直接逮捕に関わる事となれば4900まで出す」さりげなく頭数を数えているあたりは、及第としてもいいだろう。
「……それは屍体でもいいのか?」
「何を言うんじゃ!神のお怒りを買うぞ」
「法治国家としては、正当防衛を除き犯罪者と言えど法によって裁かれなければならないのだ。出来ればそんな事態となっても生け捕りにしてくれ」
 いい加減疲れ切ったような衛兵長が懇願するような口調で言う。新米ではなかったが、やはりあしらいというものが出来ない性分のようだ。なんでこんな奴らしか残っていなかったのかと内心嘆いている事だろう。
「わかった、善処しよう」
「事を公にして世に混乱を広げさせないが故の依頼だ。こちらから色々と便宜は計るつもりだが、あまり荒立てぬように。では、相応の成果を期待する」
 更に追い討ちをかけるフェイをなんとか無視して衛兵長は結んだ。更に今まで起った殺人の現場や残りの要人の情報、そして現場への立ち入り証を渡して彼は帰っていった。



2.彷徨う者たち

 こうして依頼を受けた3人の人間と4人の妖精族と一羽と一匹は、少しの検討の後、かつての殺人現場へ向かう組と、今後標的となり得る富豪の屋敷へ向かう組に別れる事にした。迅速な行動は冒険者の心得の第一であるという認識は、彼らにもあったようだ。──行動が正解かは二の次らしいが。
 ラピス・フェイ・ドーンの三人は許可証を手に、一番最近の現場に到着した。殺人が起ったのは屋敷の書斎で、被害者はただ部屋の真ん中で倒れていたという。荒らされた跡や金品の強奪も無かった。話を聞くに、遺体は葬儀を待つため地下室へ移したが、現場の確保はまだ続けられているらしい。
 三人は格闘の痕跡や室内の間取り等を確認したが、人の入れる窓もなく、家具調度に傷も無い事を確認するに留まった。結局有力な情報は何一つ発見出来なかった為にその部屋を早々に退散し、遺体のチェックへと向かう三人であった。大雑把な性格は彼らの共通事項であるようだ。
 そして、検死である。
「……針で刺されたような跡があります!」
 大地母神に祈りを捧げた後に遺体を調べていたラピスが、首筋にあった針跡を発見した。虫の類いにしては大きめの、ワスプの刺し跡にも似た傷口。一同の脳裏に毒殺の可能性が浮かぶ。
「ほう、この時期に蚊がいるのか?」
「少しは考えんとファンのようになるぞ……」
 さりげなくドーンを張り倒し、衛兵を通じて毒物の検出を魔術師ギルドに依頼すると、一行は更に次の屋敷へと向かった。

「……この方にもありますね」
 辛うじて残っていたもう一つの遺体にも、今回はその足首に、同様の刺し傷を確認した。被害者はやはり書斎に倒れ、それ以外に変った所も無かったという。
「昨今は変った蚊が多いようだな」
「お主のそれは、やはり素で言うとるのかの?」
 再び張り倒されるドーンを後目に、現場確保班であった衛兵が室内に入って一同を呼び止めた。
「何かありましたか?」
「実は遺体の傍らにこれが落ちていたんです……証拠品ですが、調査して頂けるならと特別に預かって参りました」
 これも衛兵長の言っていた"便宜"なのだろう。そう言って彼は麻布に包まれた小物を差し出した。
「これは──魔術師ギルドの紋章じゃな。関係者が身に付けるバッジじゃのう」
「ドーンさん、知っているんですか?」
「何を言う。魔術師ならば誰でもこの印形を知っておるわい」
 後頭部をこすりつつ、手に取ってそれをすがめていたドーンが太鼓判を押す。
「しかし遺体の傍らに?えらくあからさまだな」
「えっと、もしや先のお屋敷の時も?」
 ラピスの問いに、衛兵は戸惑いながらも、密かにそのように聞き及んでいる、と返答した。
「ギルドがのう……ま、考えられなくもながいの」
「ギルドの仕業か、ギルドの仕業にしたい誰かって事ですよね?」
 取り敢えず当面しておく事として、毒検出について話を聞こうと面々は魔術師ギルドに向かった。
 しかしこの後、まだ遺体は到着すらしていなかったという落ちが付くのだが、今の彼らには知る由もない。

 その晩、一同は再び『欠伸亭』に戻って来た。
「で、君らは何をしてきたんだ?」屋敷探訪組に対し、あまり期待していそうにない顔のフェイが発した第一声はこれだった。
「うん、富豪ズにこういう件で話をしたいって言ったら門前で放り出されたよ」
 あっはっは、と陽気にカイは笑い、その他の仲間も素知らぬ顏をしている。ラピスは嘆息した。
「ああいう所では私兵を雇うのが普通ですからね。衛兵の許可証では……」
 門前払いを食わされた為に、ドーンから借りた使い魔を屋敷に侵入させるも使用人によって放り出されるというとんでもない事までしてきたという。
「全く、素早いメイドも居たもんじゃのう」ドーン自身も明後日の方を向いて髭など扱いていたりしている。
「手掛かり無しか」
「仕方なかったから、一応ご近所の評判なんかも聞いて来てるんだけど」
「先に言わんかい!」
 ──総ツッコミを受けたカイ曰く、今回の一件に関わるどこの富豪も一種の商家で、商売敵の間柄というようなところもあったが、表立って問題を起こすような人物でも、そんな評判の立つような所もないという。現場組の聞いて来た話と統合しても、さして共通すると思われる事項は見付からなかった。
「愉快犯かな?」
「何の意味があってしとるんじゃ?」
「ほら、地図上で殺した順番に線引いてくと図形になるとか、標的の名前で語呂合わせが出来るとか。12人もいるんだし」
「被害者さんをターゲットなんて、失礼ですよ」
「……地形とは考え難い。名前もな」
「無意味だねえ」
「無意味じゃのう……」
 結局、各富豪に直接会う為のアポ取りや、盗賊ギルドへ情報収集に赴くような事を適当に決めてその晩はさっさと寝てしまう事となった。思いきりの良い連中では、ある。



3.組合

 盗賊ギルドとは、名の通り盗賊を生業とする者たちの寄り合いを指す。非公式な組織だが、害よりも利が優先される為に暗黙の内にその存在を許容されている。情報、盗品等が闇の中を横行し、腕と金と舌が物を言う世界だ。そういった目的でギルドを訪れる者もまた、非公認ながら数多い。
 ギルドには、ドーンの使い魔「ミケ」を連れたウェイズが向かい情報を得て来る事となった。
「で、何の用だい」
 カウンター内の受付当番は当然ながら盗賊で、それなりに年季を伺わせる眼光と風体をしている。ウェイズを上から下まで値踏みするようにじろりと一瞥して言った。
「ここ最近、街を脅かしている連続殺人の話は知っているな?」ウェイズも負けじとしかつめらしい顔で話を切り出す。
「ああ、例のアレかい。お前さんがた、雇われの冒険者ってとこだろ?イイ話ならなくもないが──」
「出来るだけ詳しく教えてくれ」
 思わず身を乗り出すウェイズを受付は手で制した。底意地の悪そうな笑みを浮かべて続ける。
「この事件を解決出来るだけの情報があったとして、さて幾ら払う?」
「じゃあ、300」解決、という言葉に乗せられてつい口走ってしまった。
「ほう?それっぱかりではロクな話にならないぜ。400出しな。少しはマシな話をやるよ」
「…………わかったよ……」
 受付から聞かされた内容は、実はほとんど既知なものだった。富豪ばかりが狙われている事、三日に一度の頻度で5人までが殺された事、現場に魔術師ギルドのバッジが落ちていた事。
「何故、それを?」ウェイズは当惑しながら問うた。
「なァに衛兵のする事なんざ、捜査も護衛もザルばかりさ。話は何処からでも漏れ出して来るもんだ。ああ、それからこいつはサービスだが──」
 この程度の情報量で400という大金が入った事で、受付の舌も少しは軽くなっていた。
「殺された富豪はギルドのジョアンヌって導師との繋がりがあったって話さ?」
「ジョアンヌ?そいつは何者だ?」
「さてね──そいつはまた別の話だ。用が済んだらとっとと帰んな」

「ふむ、ウェイズは随分とまた取られたようじゃのう」
 昼の『欠伸亭』にて、呵々と笑ってドーンは当人の居心地を悪化させた。
「全く、相場を知らないと要らぬ損をする。暫くは話術に趣味を絞ったらどうだ?」
 フェイは何時ものようにさらりと追い討ちを入れて、当人を腐らせた。
「で、こちら組の状況なんですけど、7件中2件だけ会見の約束が取れました。……門番さんにですけど」
「まあ、上出来だろう。俺が頼もうとしたら一発で追い返されたぞ」何故か自慢げなファンであった。
「紋章と毒針の話も早い内に"売りに"行ってもらうとしよう。では、午後からの方針といこうか」
 それからウェイズが聞いて来たジョアンヌという人物にも焦点が置かれ、そちらにも直接/間接的に探りを入れようとの段取りとなった。被害が「三日に一度」となると、今夜また被害者が出る危険性が高い。この午後も忙しくなりそうだった。

 魔術師組は魔術師ギルドを訪れ、ジョアンナの評判を聞いていた。魔術師ギルドは寄合組織という点で先の盗賊ギルドにも似ているが、こちらは公式なものである。組合いであり、学院でもある。ここで導師の地位を得ている者は相当に徳か実力、或いは裏のある人物と言えるだろう。基本的に魔術師ならば入場を許可され、組員の情報もある程度聞く事が出来る。
「孤児院を運営……意外と立派な人物のようじゃのう」
「清廉潔白で有名、腕もある模範導師か。良い噂しかないらしいな」
特に怪しい節目を見つける事もなく、当人とのアポイントメントもあっさり取る事が出来た。
「さて──あちらはどうなっとるかのう?」
 視線を投げられ、アレンは無言のままに鴉の居ない肩をすくめた。

 それより暫く前、フェイは再び各被害者の屋敷にて使用人や衛兵から話を集めていた。統合すると、全ての犯行は深夜から朝にかけて行われた可能性が高いことに考えが至った。大体の事情聴取が終わるとその足で盗賊ギルドへ向かった。
「なんだ、昨日の野郎の知り合いか?」
 やはり無愛想に、また油断無い受付が彼女を出迎えた。
「さて、知らないな。一つ当って欲しい人物がいるんで来たまでだ」
「いいとも、何でも言ってくれ。それなりの取引きを期待するぜ」
受付の顔に、今日も儲けられる、というような打算が微かに伺える。
「──魔術師ギルド導師ジョアンヌ。100だ」
「ふん?知らない名だな。イチから調べるとなるともう少しかかりそうだが」
 フェイの誤魔化しに仕返しするように受付が笑った。
「街のお偉方すら把握していない程間の抜けたギルドではあるまい?それとも本当に知らないとでも言う気か」
「ほう……まあ、そうまで言うなら今回は"格安で"当ってやるよ」
 ギルド組員としての矜持を刺激されたか、目付きを険しくしながらも応じた。
「だが100は無いな。もう100積んでもらおうか」
「聞く所によると、そいつは孤児院を経営してるとか……200ならそっちもついでに当って欲しいものだ」
「……分かったよ、くそっ。なら、もう50で伝令を飛ばせるぜ?早けりゃ明朝に着く」
「いいだろう。居なかったら宿の主に預けておいてくれ。『欠伸亭』で判るな?」
「馬鹿にする気か?」そろそろ、受付の態度も険悪なものが混じり始めた。
「交渉成立、だな」そして外に出ると、待っていた使い魔に向けて口の端を釣り上げる。
「悪くない買い物だったろ?」

 陽も落ちた頃になり、一行はふた手に別れて7件の屋敷を巡回する事にした。7人いるから各屋敷を個人で張り込むという手もあったのだが、相手が暗殺者であった場合等を考慮し、ある程度のグループを組む事にしたのだ。ちなみに、カイとファンはこの時既に衛兵長から情報料を頂戴している。
「眠い」
「そうだな」
「……何も出ない」
「……そうだな」
 効率は、多分に悪かった。この夜の内に、第六の被害者が出てしまったのだ。



4.動き出す時

「さて、どうしたものかな……」当面すべき事は何よりも、思い悩む事である。
「酒は質より量という言葉があってだな……」ファンを除いて。
「えっと、今朝は富豪さんとの面会があるので私が行ってまいります……」
 徹夜明けで多少ふらつきながらもラピスが健気に立ち上がった。冒険者として徹夜の一つや二つは日常茶飯事だが、大地母神の神官としては人死にがこたえたようだ。
「行ってらっしゃい……」もとい、結局他の連中は当面睡眠を取ることを選択したようだ。

「そのような話は聞いておらんな」
 件の屋敷に赴いて用向きを伝えたラピス(及びミケ)に、あっさりと門番は告げた。打ち合された鉾槍が耳障りな音をたてて、彼女の目前で門を覆い隠した。
「えっ!?だって昨日取次いでくれるって言って下さったではありませんか?」
「聞いておらぬ。何かと物騒な昨今、不審な者を館に入れるわけにはいかんのだ。立ち去られよ」
「私はこれでもマーファ様の神官です!」聖印を掲げて精一杯主張する。
「これは失礼。しかし、邸内へは何ぴとたりと入れるなとの……」
 ちょうどその時、ふらりと館から現れた影があった。
「朝から何事だ、騒々しい」この屋敷の主自身であった。

「ふむ、それで護衛の任につきたいと?」屋敷の居間でもてなしを受け、事情を説明したラピスに主人は品定めするような鋭い視線を向けた。そこは流石に多くのライバルと日々競り合う豪商の一人である。
「はっきり言おう。君がその暗殺者の仲間でないとの確証は持てない」
「そんな!」ラピスは悲痛な面持ちでその言葉を聞いた。
「否、暗殺者で"ある"ともまた言えない。その場合神官殿に庇護されるという事は大きなメリットと言える。──ならば、こうしよう」そして主は一人の衛兵を呼び出した。
「彼は今私が信頼している護衛の一人だ。彼と組んで外で見張りをしてもらうという事でどうかな?扱いは他の護衛と同じくさせて頂くが」
「わかりました。事件などに至らぬよう全力を尽します。──大地母神の加護あらんことを」
 ミケがその足下でにゃあ、と啼いた。

 その日の昼頃、ドーンとウェイズ、ついでにアレンは約束だったジョアンヌとの面会の為にギルドへと入った。睡眠は必要なだけ取っていた。
 開いた扉のむこうから、ジョアンナは質素ながらも清潔感のある長衣をまとい、聖人の微笑みをもって一同を迎え入れた。三十路を過ぎた頃だろうが、悠然とした身のこなしと秀麗な面が若さを感じさせる。が、何処かしらに微かなやつれが見隠れしていた。
「ようこそ、お待ちしておりましたわ」麗しく一礼するジョアンヌに、ドーンは優雅に礼を返した。意外な所で器用な一面を見せる彼はやはり不思議な人物である。それはさておき、一同は早速議題に入った。
「最近の……あの事件の事ですわね」眉目の整った面立ちに暗い影を落として彼女は言った。微かだったやつれが増したようにも見える。
「正直、とても心を痛めています。かの方々には、以前よりよくお世話になっておりました。孤児院を運営するにあたっての御寄付も一番出して下さっていたのに……」
「失礼ながら──彼らに共通した怨恨や弱味などは無かったのでしょうか?」
「いいえ、見当もつきません。皆立派な方たちでいらっしゃいましたわ」
 ジョアンヌの憂える表情は青白く、指先が小刻みに震えているのにウェイズは気付いていた。
「今一つお聞きしますが、魔術師ギルドと彼らの関係は良好でしたか?」
「いえ、特に聞き及んでいませんわ」
「……そうですか。いや、失礼致しました」
 その後幾つかの質問をし、何かあれば『ダイダロス』まで連絡を、と言い置いて三人は彼女の部屋を後にした。
「あれは、白じゃの。富豪と繋がると言うて孤児院の事ばかりじゃ」
「ああ、俺もそう思う。次に怪しいとしたらその孤児院と富豪どもの関係か?」
「孤児院に当っても何も出るまい。怪しいとすればその裏じゃろうて」
「……毒殺が確定した」
 突然アレンが言った。フェイに同行していた使い魔からの情報だろう。
「『ダークブレイド』、かなりの注入毒だ」
「毒ルートから探れないか?」
「暗殺者が相手となれば、その程度は簡単に用意出来るじゃろ。ギルドなぞ頼むだけ無駄じゃ」
 見切りをつけると、再び合流すべく三人は『欠伸亭』に足を向けた。
「次の殺人こそは、止めねばならん」

 帰って来た一行を、二つの知らせが待っていた。
 一つには、昨日の盗賊ギルドからの報告書だ。ジョアンヌの身辺から孤児院の裏事情までが大雑把に書き連ねてある。
 曰く──「彼女は富豪連中から金を脅し取っていた」「彼女は慈愛の神官と言ってもおかしくない出来た女性である」「彼女の自邸に不審人物の出入り有り」「魔術師ギルドは富豪連中に借金あり」──いずれも、"らしい"で括られているあたりが信憑性の無さに拍車をかけていた。
「内容に一貫性が無いな。バッジの疑惑から進歩していない……ギルドも役に立たんものだ。それとも"格安"でやられたか?」
 ざっと目を通すと、フェイは不満げに報告書を放り出した。
「ただ、寄付の線は何かありそうだ」
「富豪連中の大半を繋いでる情報は今の所、これだけだからね」カイも同意する。
「で、どれが犯人なんだ?」ファンがエールを手に卓へと戻って来た。
「判っていれば苦労はせんわい」
「不審人物ってのはどうだろう?」カイは首を傾げて書類を指した。
「暫く彼女を張っていれば何らかの動きか、或いは接触があるかもしれないな」
 ちょうどその時、一人の身なりの丁寧な男が、カウンターから彼らに近付いて来た。少し前に店内に入り、宿の主人と話していた男だ。
「失礼致します」男が言った。
「裏で関わる人間がいるってのか?」
「どうみても聖人といった風体だったがのう」
「そういう奴に限って怪しい事もあるものだ」
「あのもしもし」
「彼女自身が犯人だったりしてなー」
「はっはっは」
「ジョアンヌ様の遣いで参ったのですが」

 沈黙と、それに続く喧噪。
「……どうかされましたか?」
「いエ、何でもないデス」
 全身に冷や汗を流しつつ、ぎこちない笑みを浮かべる一同であった。
「先程お会いしたばかりではありますが、主人が至急貴方がたにお会いしたいという事でしたので。……御気分がお悪いので?」
「気にしないでくれ。至急の用事ならすぐにそちらに向かうが──残り全員で行くか?」
「ラピスはあちらでカンヅメのようじゃからのう。まあ、あっちにはなんとか伝えておくかの」
 ミケを通じて、ドーンは情報を得る事が出来るのだが、逆の伝達は厄介だ。まあ、地面に文字を描くなり、文字盤を指させるなどして頑張ってもらうしかない。
 そういうわけで、一人を除く一同がぞろぞろと疑惑のジョアンナの屋敷へと向かう事となった。しかし、そこでまた彼らを混乱させるような事態となるわけである。

「実はこんな物が送られて来たのです。貴方がたの帰られたすぐ後ですわ」
 挨拶もそこそこに、そういって彼女の白い手が差し出した一通の手紙。
「何──其の命頂戴仕る、と。またえらく単刀直入ですね」
「決め台詞みたいな一文だな……」実際、他にも細々と書かれていたのだが内容は極めて簡潔で、要はその一言に尽きる内容だった。丁寧な字体が崩されたような、一見して粗雑な筆跡である。
「先程もお話したあの事が気掛かりで。どうか暫く私の身を護って頂けないでしょうか?」
「了解」
 即答。
「っておい!」小声でフェイの袖を引くウェィズ。
「何か?」言われた方は飄々としているが。
「そんなあっさり決めていいのか?残りの商人連中はどうすんだよ」
「容疑者自身からの申し出とは願ってもない事。騙されて見るのも一興じゃと思うがのう」
「そうと決まったわけじゃなし、核心から遠ざかるような事を」
「この際だ、話に便乗しようではないか。商人の方は必要に応じて人数をだな……」
 ぼそぼそぼそ。
「あのう…どうなのでしょう?」
 目の前で密談されると不安にもなろうというものだ。しかも彼女なら遠慮というものを知らない人間と付合う機会もそうそうないだろうから尚の事。デリカシーの無い連中である。
「いえ、何でもありません。是非協力させて頂きましょう」フェイとドーンの踵がウェイズのつま先に乗っている様子は、残念ながらジョアンヌには見えていなかった。
「有難う御座居ます。警備に当って、施錠されている部屋以外、この館は自由にお使い下さって結構です。何かわからない事などありましたら妹か使用人にお申し付け下さい。──マリア」
 と、ジョアンヌはそのよく通る声で妹の名を呼んだ。
「お呼びですか?お姉様」
 現れたのは一人の少女。10代も半ば位に見えるが、姉の年齢を考えると童顔なのだろうか。身体つきも小柄で線が細い。妖精の血が混じっているのかもしれない。
 そして、何故か猫耳。これはカチューシャの飾りであるようだ。頭の横には小さな耳が一対、ちゃんとついている。ちなみに、とがってはいない。
「こちらが先に話した護衛の方々です。便宜をはかって差し上げるように」
「心得ましたわ」
 姉に一礼すると、マリアは冒険者に向かい再び頭を下げる。
「この屋敷を任されておりますマリアと申します。暫くこちらを使って頂く事になるそうですが、流れ者の方といえど、邸内では礼節をわきまえて下さいね。万一の事あらばその時はどうか宜しくお願い致します」
「……あ、ああ」
 なんとなく引っ掛かる物言いだったが、敢えてそれを指摘しようとする者はいなかった。



5.月夜を往く

 その晩、半妖精の神官は一人──猫もいたが──門の前で目を光らせていた。
「みんなはジョアンヌさんちでゆっくりしてるのね……うー」
 というかむしろ、半眼を光らせていた。交渉後、適度に休息していたので夜番に当って問題は無い。ミケ自身は何を考えているのか知らないが、別に退屈もせずにラピスの周囲を歩き回っている。三毛といえど黒が基調なので明かりを離れるとかなり見分け難い。幸い、精霊視を持つラピスにはあまり難が無い。
「でもっ!これが事件解決の糸口になるんならこんな苦労とて……いえ、あらゆる凶行はこの私が断固阻止しますから!」
 一人決意と握り拳を固めるラピスであった。ちなみに相方となった護衛兵は隙は無いが愛想も無い男で、彼女の熱気にも特に感慨を抱いた様子は無い。彼の発した言葉は最初の「宜しく」だけだった。任務に忠実であることは雇い戦士として良い資質であるといえるだろう。しかし、全身で「傍役」を主張せずとも良かろうに。
 それはともかく。我らがラピスの方もそんな彼とは必要以上に接触しようとはせず、内に炎を抱えたまま周囲を見回していた。と──
 何かが視界の隅で、動いた。小型犬ほどのサイズを持つ小動物。
「!」反射的に意識を集中する。ミケと相方もそちらを伺っている。と、"それ"は音もなく宙に飛び上がった。暗がりから飛び立つ一瞬、屋敷の明かりに照らされた姿が"それ"の輪郭を描き出す。小さな翼とひょろりとした尾を持つ、子供のような姿。しかしそれが人間であるはずもない事は、その場の誰にも見てとれた。悪魔──そんな単語が脳裏を過る。"それ"は回りに目もくれず、素早く二階にある窓の一つに取り付いた。
「何ですかあれは!?」
 叫びつつ、邸内に駆け込む。相方が門番に警告を発しているのを背後に聞きながら階段へ向かうと、一気に駆け上がる。主の私室、及び書斎は二階。"あれ"が入ろうとしていたのはどの窓だったか──?
 ラピスは二階に躍り出ると、迷わず寝室へと走った。依頼主の身の安全が最優先。廊下を駆け抜ける、その傍らの窓が幾つか破られていた。既に侵入は許してしまっている。
 硝子片を軋ませながら寝室へ辿り着くと、重厚な扉を蹴り開ける。果たせるかな、寝台には熟睡している屋敷の主。そして──その傍らに、一体の異形の影。窓を背にしているために逆光となり、その表情はよく読めない。だが、恐らくは獰猛な笑みでも浮かべているのだろう。ラピスはなんとはなしにそう思った。
 焦る心を無理矢理押さえ込み、両手で武器を構えて"それ"に向ける。半眼に目を伏せ、全霊をただ一点へと収束させる。腹に気を張り、無警告で唱呪。
「邪なる魂、世に在らざる不浄な者よ!汝聖なる鉄槌の前に砕け散れッ!」
 神聖魔法──神の従者に与えられる恩恵、神の威光を具現化する神官たちの秘術。
 ラピスの発動した不可視の弾丸が周囲の空間を歪めるばかりの神気を纏い、一直線に室内の暗闇を貫く。
 必要以上の気力を注ぎ込まれ、必中と増幅の念をも織り込まれた気弾は過たず、何かを逆手に振りかざしていた"それ"へと突き進み──悲鳴もろともその存在を消し去った。

 同刻、ジョアンヌ邸。
「ラピスも張り切ったのう。侵入者を一撃で粉砕しおった。文字通りな」
 ドーンが豪快に笑い、状況をフェイとウェイズ説明していた。残りの三人は外で見張りに立っている。夜半の大声に、傍らのマリアが目尻を吊り上げていたが当人は気付いていないらしい。気付いてやっているのかもしれないが。
「何だったのだ?」
 飲み物と軽食を適当に口に放りながらフェイが聞いた。流石に酒の類いは置いていない。ところで、交代要員は休憩時間の内に寝ておく事にしていたのではないだろうか。
「うむ、見た所インプのようじゃった。まあ、下級の小悪魔じゃな」
「寝込みを使い魔に襲わせるか……読めない手ではなかったな」
 少し悔しそうな様子を見せているウェイズ。
「バッジと毒針を持って入って来たわけか?」
「それらも、探せば出て来るじゃろうて。あれば、じゃがの」
 当然、ドーンにはミケを通じて件の部屋の壁に大穴が開いている様も見えているわけである。目撃者と状況証拠があるから、その件でラピスが責められる事はあるまいが。
「それより、インプを召喚する者としたら……厄介な相手になるぞ」
 『デーモンスクリーム』──神聖魔法と対をなす、邪神及びその従者たる魔神や神官たちが用いる恐怖の秘術。それを行使する者との直接対決は、出来れば避けたいところだ。
 そこへ。
「えっと、ドーンさん?」マリアが声をかけた。
「おお、お嬢さんには言うておらなんだの。わしら魔術師は熟達すると使い魔というものを持ってだな……」
「ドワーフさんと言えど、夜間はもっと静かにしてて下さいね」
「むう、これでも抑えているつもりだがの」
 後ろの二人はさりげなく手と首を左右に振っている。それを知ってか知らずか、僅かに思案の色を見せてから、
「出来たら、喋らないで下さいね」にこりと微笑む。
 怖い。
 傍若無人な冒険者にも、マリアは苦手なタイプであった。
「!」
「?」
 その時、二人の盗賊──ウェイズも少しは齧っているから数に入れる──が唐突に廊下のある方に首を向けた。そのまま一足で窓際へ向かう。勿論音は立てない。
「見たか?」と、カーテンを戻してフェイ。
「彼女だ」ウェイズが答えた。
「どうした?何か現れたか」
 真面目な声でドーンが問い、こちらも音を立てずに立ち上がる。その声は何時ものようにはっきりしているが極めて微かだ。無意識の内にこれが出来るあたりは、流石冒険者といった所か。マリアは息をひそめながら、少し驚いたようにドワーフを見た。
 少しだけ。
「私は少し出て来る。後は適当にやっててくれ」
「分かった。表のアレンから鴉を借りていけよ」
「ああ、それがいいな」
 ウェイズと短く言葉を交わすと、フェイはするりと扉を抜け、影のように廊下を滑っていった。
「どうかなさいましたか?」
 不安気に耳を伏せたマリアが訊いてくる。異常事態の予感に顔が青ざめている。
「ジョアンヌ氏はこの時間どちらに?」
 彼女の所まで歩み寄るとウェイズが言った。
「この時間でしたらいつも執務室にいるはずですが──まさか誰かが侵入を!?」
「案内をお願いします」
「はい、こちらです!」
 そして急行した先の執務室。マリアが激しく戸を叩くが中からの答えは無い。慌てて施錠を解き、扉を開け放つ。
「お姉様!?」
 その向こうには執務室。誰かが座って事務をこなしているであろうその部屋だが、今は誰の気配もない。明かりが一つ、主人の居ない部屋を虚しく照らしているだけだ。
「むう、おらなんだようじゃのう」
「アレン達を呼ぼう。フェイが追っているのは間違い無く彼女だ」

「ったく、何処へ連れて行ってくれるというのだ──鴉、落ちるな」
 肩にしがみついたアレンの使い魔はくぐもった不平を嘴の内に押し殺した。目標から距離を取っているとはいえ、声を上げて良くなる事などない。素早く動き回る彼女の肩はさぞかし居心地悪いだろうが、鳥目の使い魔は落ちたら終わりとばかりに必死である。
 目標は早足で街中を過ぎ、郊外へと向かっているようだった。周囲を警戒しているようだが、専門盗賊のフェイならば問題無く尾行出来た。細い月が行く手に傾いでいる。じき、新月になるだろう。
「現在市内を東へ移動中──と、停まった」
 囁きつつ、建物の死角に身を隠す。目標は一度周囲を見回すと、建築物の一角へと姿を消した。フェイは影を伝って速やかにその傍らへ移動する。重く静かな音を立てて、扉が閉まった気配がする。暗がりに見えたそれは人工的な洞窟の口。
「ここは……下水道か?」



6.打砕く者

 使い魔の通信を頼りに、パーティが合流したのはそれから10数分後。
「しかし、何故君が?」入り口で待っていたフェイの訝し気な視線の先には、猫耳の少女。しかも間に合わせとは思えないクエスト向けの装備など身に付けていたりする。
「いや、彼女が聞かなくってね。それに、一人置いてくのも危険かと思ったから」
 カイもなんとなく不安そうに隣の耳を見る。
「お姉様の危機に私ばかり自室で安穏としてはいられません!私がお救いして差し上げるのですっ!」
「屋敷には狙うべき人物もおらんから、厳重な戸締まりだけ言い置いてきたわい」
「……んじゃあ、入るよ」
 若干気勢を削がれながら、一行は下水道に足を踏み入れた。
 ひやりとした閉鎖空間に、足音が響く。ランタンの炎が天井と壁と床と、そこに生える苔を薄紅に染めている。と言っても床面の半分は水路になっているので、人が通れる道にはあまり余裕が無い。多くて二人が並べる位なのだが。
「なんで君が前にいるんだ」
 建築内の誘導は盗賊たるフェイの重要な役割なのだが、その隣には、やはり猫耳が揺れている。
「私がお姉様をお救いするって、先程言いませんでした?」
「止ん事無い方々の入る所では無いのだから、何が出るかわからないぞ」
「構いません!私の実力の程を見せてさしあげてよ」
 そう言って、がしゃりと細剣を掲げるマリアの身ごなしや歩き方は、控え目に見ても素人のものだ。いざとなったら自分が何とかしよう。心に決めるフェイであった。
 暫く直線が続いたが、そのうち分岐が見えて来るようになった。苔と埃の形跡と足跡から、一行は迷いなく進んでいたのだが。
「どれが当たりかの?」
「さて……」
 いかなる手段を使ったものか──幾つ目かの分岐から、足跡が途切れていた。一本道の最中に足跡が薄れ、消えてしまっていたのだ。詳しく探ってみるが、今いちはっきりしない。
「どれでもいいから、行きますですよっ!」
「あ、こら」
 痺れを切らしたマリアが勝手に駆け出した。正面に走ろうとして。こけた。着慣れない装備ががしゃがしゃと音を立てる。
「何やってんだ……」そろって溜息をついて、ぞろぞろとマリアの元まで移動する。当事者は小さく呻きながら服を払っている。お嬢様には汚泥がこたえているようだ。
「ほら、危ないんだからあまり先に出ちゃ──」
 言おうとしたフェイがその動きを止め、顔を上げた。
オォ──
 空洞内部の風の唸りではない。殺意を孕んだ、怨嗟の咆哮だ。
「下がって!」
 反射的に、フェイはマリアの首根っこを掴むと「ひゃ!」後ろへ放り投げた。戦士が前進し、魔術師たちが身構える。マリアが水に投げ込まれ派手に悲鳴と水柱を上げたが、それは取り敢えず後回し。不憫な事である。
 翳したランタンに照らされ、異形の一群が明らかとなる。それは一見したところ人の形を取っていたが、黄色く濁った瞳と土色の肌は常人のそれではない。長く伸びた牙と爪が、獲物を求めて蠢いている。この奇怪な化物が数体、群れを為して現れたのだ。
「グールかッ!」
 神速のカイが素早い身のこなしでフェイと入れ代わり、一瞬にして斬りかかる。我が身を庇おうとした最初の一匹の腕が飛び、ばしゃりと水路に落ちた。一拍遅れて前に出たファンが、ここぞとばかりに大鎚を振りかざし、振り下ろす。痛みに呻くグールの傍らでその同胞が頭頂から叩き潰され、派手な血飛沫が天井と壁を彩る。
「うげ……」誰かの呻く声。ちなみにこの事態に最も不向きそうなマリアは、フェイによる引き上げ作業中なのでそちらを見る余裕も無い。まあ、どうせ後で見る羽目にはなるのだろうが。
 仲間を殺されたグールが目の色を変えて反撃。毒持つその爪はしかし、カイの払う曲刀に阻まれて身体には届かない。
「やるね」
「これから、だよっ」余裕を持って、標的を確実に屠っていく。
 この応戦に、魔術師たちは傍観を決めこんでいた。実際、前衛二人の働きにより数分と待たずにグールの一団は掃討されたのだった。カイは刃を拭い、満足げに鞘に収める。
「うう、ずぶ濡れです……」
 身体を揺すり、頭を振って水を弾く。
「うえ……」
 そして、周囲の惨状を見渡してえずいた。
「ほら、無理するな……って言う方が無理か?」
「今からでは帰らせるわけにもいかんの。ついて来られるかな?」
「……ええ!おおお姉様をお救いするのですから!」
 動揺しながらも、決意に揺るぎないのは見事と言えるだろう。
「扱いは簡単そうだな……」
「邪魔にならなけりゃ、ね」
 また懲りずに先頭に立つマリアを見る。良い予感はしなかった。

 グールの来た方向から、おおよその目星をつけて地下道を移動する。
 途中、怪し気な横穴から呻き声が聞こえてきたり、水面が不自然に隆起していたり、人骨が歩き回っているのを横目にしたりしたが、歩みを止める事は無かった。
「立派なダンジョンだね」
「そうとも言うのう」
 管理体勢が悪いとか、今日は日が悪いとか、そういう問題だろうとは誰も言わなかった。口外する必要も無かったから。
 進むにつれ水路が無くなり、石壁の地下道となっていった。やがて、その最奥部に辿り着く。少しばかりの広間の奥に、長い階段。
「ここにお姉様が捕われているのですね?」
「いや、こことは関係ないかもしれないんだけどー」
 何せ行き当たりばったりで来たのである。その可能性は非常に高いのだが、口にしたカイには見向きもせずにマリアは階段に向かってしまう。
「紐でも結わえておこうか?」とフェイ。
「必要となればそうしてくれ」長い探索行とは関係なく疲れ切ったようなドーンであった。
 階段を上り切るとそこも少しの広間。目の前には錆び付いた鉄枠の木扉が据え付けてある。扉の下の石畳には、苔が削られた痕がついていた。はやるマリアをどうにか抑え、フェイが扉をチェック。罠と鍵の有無を確認してから一気に押し開──こうとして、手が停まった。
「鍵はかかって無いぞ?」
「どれ」
 戦士達が力押ししてみるが、やはり動じない。
「おお、魔法の鍵やもしれぬのう」
 アレンが進み出て『解錠』の術を呟くと、小さな破裂音。軽く押してみると、ごりりと音を立てながらゆっくりと扉は開かれた。

「……大当たり、かな」
 そこは地下通路の一室とは思えぬ広大な場所であった。石畳と石壁と、四方を囲う巨大な柱が揺らめく燭台の炎に浮かんでいる。中央奥に施工された大きな祭壇。そこに祀られた物が示す、邪気の源。
 現世にありながら異界と化したこの広間は、完全なる一つの神殿であった。
「あれは暗黒神──ファラリス!」ドーンが叫んだ。
 そして祭壇の前にあった白い影が、ゆっくりとこちらに振り向いた。
「来てしまわれたのですね……残念な事です」
「お姉様!」
 ジョアンヌはマリアの声にも反応せず、聖人の微笑みをたたえたままに言った。
「貴方がたを皆殺しにしなければならないなんて」
「──!」
 パーティは即座に展開して対応しようとした。が、ここにイレギュラーが一人。
「お姉様、何を……」
 叫びながらマリアが祭壇に向かって疾走。皆が警告を発する前に、祭壇へと取り付いた。「邪魔です」しかしジョアンナは、そんな妹の姿も目に入らぬかのように腕を振るった。マリアは弾き飛ばされ、石畳に叩き付けられる。
「マリア!」
「貴方たちの相手は、こちらにおりますよ」
 注意が逸れた一瞬、ジョアンナが何事かを呟き、杖をかざした。瞬間、祭壇とパーティの中間部分で激しい気流が沸き起こった。魔界より来る、黒い瘴気の狂風だ。
 闇と光が渦を巻き、虚無の空間より一つの巨躯がのそりと浮かび上がった。
「何だありゃあ!?」
「ドラゴン……!」
 直立し、一対の巨大な翼を広げ解放に歓喜する爬虫類に似たその姿は、伝説に謳われる竜を想起させた。ぐる、と唸ると"それ"は周囲を睥睨する。自らの血肉となる獲物を求めるかのように。
「否、あれは召喚された魔神──ラグナカング!!」
 あらゆる生物の恐怖と嫌悪の対象である魔神、その一種であるラグナカング。下位と言えど相当の力を持った凶暴な存在だ。話に聞く暗黒魔法を目の当たりにした一同に驚愕が走る。
「火蜥蜴の脚、炎霊王の吐息、始源の巨人の憤怒。万能にして万物の根源たるマナよ……」
 さらにその時、朗々と詠唱する美しい声がパーティの耳朶を打つ。
「いかん、火球の呪文じゃ!」
 ドーンの警告を合図に、戦士たちは一斉に行動を開始した。神速のカイが走った。祭壇まで飛び込めないと踏み、眼前に立ちはだかるラグナカングに接敵すると斬りつける。袈裟掛けに振り下ろした刃が、その腹を大きく切り裂いた。
「ヴァナ、フレイム、ヴェ──イグロルス!」
 しかし、次の瞬間ジョアンヌの呪文が完成。魔力によって生み出された炎の塊が、火の粉を散らしながら竜魔神の脇を直進し、扉に着弾。石壁を削り、扉を破壊しつつ巻き上げられた紅蓮の炎が後衛の魔術師達を襲った。
「ぐッ!」フェイは身を焼かれつつ、腰にさしたショートソードを抜く。炎の照り返しを受けた刃が赤く光る。刀身はしかし、それだけでない青白い炎を発していた。彼女の奥の手──魔法剣『エナジーシューター』だ。
「ぃっけえぇ!」輝く刃を空中で一閃。解放された光の円弧が宙を滑り、ラグナカングの体表で弾けた。
 同時にドーンとアレンが用意していた魔術を発動。メンバーの身体を光の衣が包み、アレンの杖からはフェイ同様の魔法の矢が、同じくラグナカングに突き刺さった。
 ゴアァァ──
 咆哮を上げながら、ラグナカングは接敵していたカイめがけ、その鋭い爪を振るった。大剣の一撃を凌ぐ凄まじい斬撃。カイは都合2回の閃きを寸前で躱し切った。剣風が一瞬身体を痺れさせる。すれ違いざま、カイは身体の回転と共に返す刃で反撃。しかし鱗は硬く、今度の一撃はそれを削り取るに留まった。
 フェイとアレンが再び閃光を放ち、ラグナカングとジョアンヌを狙う。ともに目標に着弾、竜の鱗が爆ぜて中空に体液が散ったが、暗黒神官にはさしてダメージを与えた様子もない。火球に見舞われたウェイズ、ドーンは更に『癒し』の呪文を詠唱。
「至高なるファリス!我らが傷に癒しの力を……って、あれ?」
 神性を持つ淡い光がパーティの火傷を治癒していく。しかし、何故か同時に竜魔神にも光が灯り、その傷が塞がっていく。
「何してんだよっ!」叫んだのは、カイ。
「そいつが使ったんじゃ!」
 魔神族は暗黒神の忠実な僕として、その奇跡を授かる事が出来るのだ。続けざまに、ジョアンヌが呪文を詠唱。カイに邪神の波動が襲い掛かる。
「なんのっ」先のドーンの守護魔法により、精神力が鋭敏になっていた。抵抗された魔術は周囲にゆらりと黒い影を流し、消滅。
 ようやく前線に立ったファンが、呪文後の隙をついてラグナカングに襲い掛かる。ドワーフ戦士としての本領発揮する機会に、笑みすら浮かべて渾身の力で鎚を振るう。しかし、竜魔神は意外な俊敏性を見せて回避。空振りした鎚は石畳を殴りつけ、盛大に石片を吹き上げた。
「お姉様!」
 その時吹き飛ばされていたマリアが復活した。そのまま、やはり姉に向かって突撃。何をされてもへこたれない性格は見事であると言えよう。方向さえ間違わなければ。
「目を醒まして下さい!貴女はこんな事をされる人じゃないでしょう!?」
 今度は祭壇まで走り切り、ジョアンヌの前にまで辿り着いた。そして──あろう事か、彼女に背を向けた。
「皆さん、姉を傷付けないで!話せばわかってくれるんです、きっと!」
「……そう言われても〜」
 釈然としない表情ながら、ラグナカングと剣と爪の応酬を続けるカイ。状況を見てから言ってくれ、とでも言いたいところだろう。
「それより、お前さんの方が危ないじゃろ!そこで寝とれ!」
 ドーンが言って、『眠りの雲』を発動。ジョアンナごと取り込もうとしたが、両者はともに変化がない。抵抗されてしまったようだ。
「むう、かける相手を間違えておったか」
 先に彼自身がかけた『対魔』の呪いはマリア自身にもかかっていたのだった。
「この程度の事で参ってたまるゃぁぁああっ!?」
 しかし背後の姉から容赦なく蹴り倒され、再び地を這う羽目になった。自らを庇う妹を無下に扱って顔色一つ変えない姉も怖いものがあるが、妹の気丈さもまた然り、だ。
「これが……最後だ!」
 後衛同士で魔術が飛び交う中、フェイの閃刃とアレンの魔矢が疾る。度重なる唱呪に気力を失いかけながら、剣を構えると直接攻撃に備える。魔法の武器とはいえ、その能力を行使する際には所持者の体力を奪ってしまうのだ。しかし刃そのものも強化されているので通常の戦闘にも適している。
 向かう先では、ダメージの蓄積している竜魔神にファンが追撃していた。しかし、大振りの一撃はまたも回避されていた。隣ではカイが幾度も斬りつけているが、こちらはこちらで少しずつ傷を刻んでいく状況だ。
「烈火の炎よ刃に宿れ!敵を討ち取る網となれ」
 それを支援するように、ウェイズが用意していた『火炎武器』の呪文を起動。戦士たちの持つ武器が魔法の炎を吹き上げる。
「ブライト・ブリット・ブライト!ディストリート!」
 更にアレンが光の矢を放つ。ラグナカングとジョアンヌを狙うが、やはり彼女には効果が薄いようだ。ダメージを受けつつ、ジョアンヌは反撃の『眠りの雲』。パーティ全体を巻き込む呪力の睡魔だが、その威力に屈する者はいなかった。
「お姉様……もう」
 まだ立ち上がるマリア。今はまだ実質的な害を負っていないにせよ、高位の暗黒神官に敵対して──本人に自覚は無いだろうが──そのうち無傷でいられるはずもなくなるだろう。
「おとなしくしていろというに」
「仕方ないのう……」
 半ば呆れ、残りは用心の為にフェイとドーンは魔神の横をすり抜け、マリアの確保に走った。マリアもあれで精霊術の腕がそこそこにあるという話を聞かされていたので、"パーティに向けて"事を起こされては厄介と思ったからだ。
「おぅりゃぁぁあああ!」
 その時、空振り続きだったファンの、燃え上がる鉄槌がラグナカングの胸板を捕らえて打ち抜いた。肋骨を砕かれ、肺臓を潰された魔神には断末魔を叫ぶ事も許されずに絶命したのだった。ひゅう、とその喉から空気を漏らすと邪悪な魂の消えた巨体が地響きを立てて倒れ込む。
「っと」
 カイは軽やかにそれを避けると、召喚主──ジョアンヌに向けて跳躍。間合いに踏み込むと同時に閃光のごとき一突きを繰り出す。しかし驚くべき身体能力で、ジョアンヌは難無く襲撃を躱した。その刃に宿る炎すらかすりもしない。カイは更に追撃しようとして
「だぁぁっ!」
 身体全体でブレーキをかけ、危うく突き刺しそうになった剣を引き戻す。その時、またもマリアが姉の前に立ち塞がったのだ。フェイとドーンは彼女の取り押えに失敗していたらしい。
「止めて下さい!姉はきっと何かに操られて」
「いいから早くそこどいてよ!!」
 顔を青ざめさせてカイが叫ぶ。しかしマリアは頑なにそれを拒んだ。
「いいえ、姉の身を危険にさらすような事は出来ません!私はここを動きませんからっ!」
 カイが焦っていたのはマリア自身にではなく、その後ろで何やら呟きながら杖を掲げるジョアンヌの姿を目にしたからだった──
「闇を打ち砕け、大いなる霹靂よ!」
「にょわあっ!!」
 マリアの手を引いてその場から引き剥がそうとするカイの動きも間に合わず、彼女の背を呪力の電撃が貫いた。その衝撃に、カイもろとも吹き飛ばされる。「きゅう」香ばしい煙を薄くあげながら、マリアは目を回していた。取り敢えずは生きているようだ。実は結構頑丈なのかもしれない。その向こうで、電撃の余波を受けたアレンが泡をくって衣服に付いた火をはたいていたが、彼自身にはダメージが届いていたわけではなさそうだ。
 カイとマリアが倒れ込んだ、その時。
「これで、終わりかな」
 燃える鎚を手にしたドワーフが、そこにいた。
 そして人間の女性相手に、魔神もかくやと言う一撃を叩き込む。最後まで手を抜かないあたりは、ドワーフの性分と言えるのだろうか?
 迫り来る轟音に対し咄嗟にスタッフを構えて防御体勢を取るジョアンヌ。しかし驚異の一撃を止める事はやはり出来ず、甲高い金属音が響くと杖ごと吹き飛ばされた彼女の身体は祭壇に叩き付けられた。ジョアンヌは小さく呻くと、意識を失った。

「終わった……か?」ドーンを始め、神聖魔法を使える者たちがジョアンヌ姉妹の傷を癒してまわる。魔神まで出て来る戦いにあって、人間に死者が出なかったのは僥倖と言えるだろう。
「けっこう面倒だったねえ」
 カイが剣を鞘におさめる。刃に宿った炎はもう、消えていた。隣に転がって何やらうなされているマリアは、傷も塞がっているようなので無視。
「しかし派手にやってくれたな」
 意識の無いジョアンヌを後ろ手に束縛しながら、フェイが言った。暗黒神官の魔法攻撃もさる事ながら、ここで言うのは当然ファンの最後一撃だ。あれの打ち所が悪ければ、大抵の人間が即死だった事は誰の目にも明らかだ。
「おお、今回はいい所を持って行っちまって済まんなあ」
 呵々と笑うファン。皆が少し退いているのに気付いていないようだ。ドーンが一応、気になっていた事を一つ訊いてみる。
「ところで──お主、手加減して捕縛、という段取りは覚えておったろうの?」
「おお、そういえば」
ジョアンヌの銀製の杖が、主の不平を代弁するように、折れた。



7.告解

「ああ──皆さん、いらっしゃったのですね」
 寝台のジョアンヌはやつれていたが、普通に会話する気力は十分に戻っていた。
 神殿での戦闘から、既に数日が過ぎていた。
 街外れにある診療所。衛兵長に事の次第を報告し、療養の時間を与えるようフェイ達自身が頼み込んだのだった。門前に警備兵が立っているものの、当面は囚人としての扱いも受けずに治療に専念する事が出来た。
「……何もしませんよ」
 部屋の入り口からこちらをジト目で伺う冒険者の姿に、少し困ったような、哀しげな表情をしながら半身を起こして彼女は言った。
「じゃあ、聞かせてもらうとしようか」遠慮なくフェイが踏み込む。手近な椅子を取って座ると他の仲間も入って来る。あれから塞いでいたマリアは、ここまで来ても部屋の中まで入ろうとはしなかった。
「お加減は如何ですか?」ラピスが問うた。
「ええ、身体は大分快復しました」
 居住まいを正すとジョアンヌは頭を下げた。
「皆さんには御迷惑をお掛けしました。お詫びと、お礼を言わなくてはなりませんね」
「まあ、それは後でいいから」素っ気無く先を促す。
「では、お話しします。この一月、私は……私でなくなっていたのです」
 そう言って、ジョアンヌは語り始めた。

 ジョアンヌは元より優秀な魔術師であり、また神への篤い信心も持ち合わせていたという。誰もが知る彼女の顔は、まさに聖母そのものであったという。方々で冒険者たちが聞き込んだ良い噂はおおむね、間違いではなかったのだ。
 しかしその面の奥に、いつからか彼女は一つの影を秘めていた。それは彼女の意図したものではなく、またそれは彼女の意図せぬものとなっていった。
 もう一人の自分。ジョアンヌはそれをそう呼び、抑えられぬ衝動に深い後悔と悲哀、そして恐怖を抱いていた。
 何をもって彼女をそうした怪異が襲ったのか──とにかく、彼女は時折、激しく破壊的な衝動に駆られる瞬間がある事を自覚した。禁断の知識を漁り、笑みをもって邪神の姿を拝する自らの行為に怯え、嫌悪した。
 それが起きるのは数日から数週に一度、大抵は夜間の事であった。記憶や意識はたしかにあった。しかしそれの最中には一切の迷いもなく平然と事を進め、そして翌朝に悔恨と自責の念が彼女を打ちのめす。そんな日々が続いた。
 ここ一月の間に、「それ」の出現の頻度が極端に上がって来ていた。
 自制しようとするジョアンヌを嘲笑うかのように、もう一人の彼女は今や一人の暗黒神官として存在力を増し、時としてジョアンヌの自由意志さえ犯すまでになっていった。
 そんな折、切掛けがあった。
 富豪の一人が、孤児院の寄付に対する代償としてジョアンヌに関係を要求した。
 苦悩する彼女に、もう一人の彼女が救いを出した。
 邪神に授けられた力をもって召喚した妖魔が、その富豪を殺した。
 その時に、既に彼女はその影に喰われていたのかもしれない。出現のスパンは三日にまで縮まり、その度に一匹の妖魔が街の住人を一人殺した。彼女自身には、もはやそれを抑える力が無かった。
「私は影に全てを抑制され、常態を保つ事で精一杯だったのです。もう、私の意識は完全に消え去っていてもおかしくなかった。そこに、貴方たちがこられたのですわ。最後の機会だと思いました。だから虚偽の脅迫状を見せて、貴方がたに来て頂いたんです」
「それで私達を呼んで……助けて欲しかったわけですね」
「ええ。闇を──私を、殺してほしかった」
 扉の外で、マリアが息を飲む気配があった。
「取り敢えず、今の貴女は普通そうに見えるが。その後どうなんだ?」
 ジョアンヌは目を閉じた。
「不思議な事ですが、あれから私の内には闇が見当たらないのです。このまま消えてくれたら良いのですけど」
「何かの呪詛だったやもしれんの。あれから結構時間が経っているが、再発する様子もなければ精霊力も大人しいそうじゃ──もう、大丈夫なのかもしれん」
 ドーンが人を安心させる笑顔で言った。
「妹さんが言っていた。貴女は何かに操られていた、と」
 微笑みながらフェイが言うと、少し驚いたようにジョアンヌは目を開いた。
「まあ──あの子には分かっていたのかしら?」
「さあね、行動を見る分には全然そうは見えなかったけど。どこかで何となく、分かったのかも、ね」
 あの戦いの無謀な行動を思い出して、カイが苦笑しながら言った。
「けど、何かに操られていたところで私の罪は消えません。これより罰を受け、償いをして生きていきましょう。あの子には、本当に苦労をかけてしまいます」
「まあ、それは仕方が無いな──と言いたいとこだが、事情が事情だけに私たちからもそれなりに意見させて貰う。悪いようにはしないように」
「お気持ちは──」
 何か言おうとしたジョアンヌを制して続ける。
「罪は罪だ。別に罰を無くせと言うつもりはない──だが、罰をもって購われる罪もまた無い。貴女自身に、自分が何を為すべきかをよく考えてもらいたい。それだけだ」
「有難う、御座居ます」
 再び目を伏せると、ジョアンヌは言った。

 それから、冒険者たちは帰っていった。帰り際に衛兵の方にも詳細な報告を送る、とも言っていた。その時彼らは何を言い置いて行くのだろうか。
「結局何も言ってくれませんでしたね──それも当然ですか」
 一人残された寝台で、自嘲的に呟く。マリアには、何ごとか外で彼らが話しかけていたようだったが、黙ってそのまま屋敷へと帰ってしまったらしい。
「こんな姉を許して、などと言う資格もありませんね。でも、ごめんね」
 目を閉じて、窓から入る微風を受ける。外からの静かな葉ずれの音の中、ただ、妹の事ばかりが思われた。今の自分には、泣く事も叶わぬように思えた。
「あら?」
 ふと目を開くと、いつからそこにあったのか、入り口近くのキャビネットに何かが乗っていた。
 見慣れた、耳つきのカチューシャだった。
「まあ……忘れて行っちゃったのかしら」
 笑った拍子に、一滴の雫が頬を落ちた。



終章

 さて、衛兵長から約束していた分の報酬を受け取り──そこでも一悶着起こしたのだが、それは本筋とは別の話──、冒険者たちは今日も今日とて酒場の一隅でくつろいでいる。報酬は結構な額面だったので、当面の生活には支障が無い。一連の事件で騒がしかった街も、そのうち静まっていく事だろう。冒険者としての仕事もこれといって無い状況にあって、彼らはやはりくつろいでいた。
「怖い事件でしたね」
「次は誰がああなるとも知れない。そういう意味では厄介な話だな」
「そういうんじゃなくて……まあ、そうなんですけど」
 はあ、とラピスが溜息をつく。
「自分を喰われるなんて気持ち悪いじゃないですか」
「俺はむしろ欲しいけどな、そういうの」
 ファンがのほほんとしながら言った。
「お前さんも神官の端くれじゃろうて。気付かぬ間に改宗しとるというのは問題ないちゅうのか?」
「ブラキ様は心の広い方でな」
「そんな変な話はないでしょう……でも、妹さんこれから大変ですよね。屋敷とか孤児院なんかを一人でやっていけるんでしょうか?」
「まあ、あの子はあれだ」
 カイが拭いていた剣を鞘に収めて苦笑した。
「なんとかなるんじゃない?剛毅だし。屋敷の管理も前からしてたんでしょ?」
「周りの迷惑にならなきゃいいがな……」
 雑談を交わす内、やがて冒険者たちは次の探究を探そうという話をしていた。儲け話や厄介事が無くては生きていけない人種であるだけに、長期の休暇は向いていないようだ。そこに道があるから進む、とは先人の言葉だが、彼らは道が無くても進む。わざわざ無い所を進みたがる者も同業者には多い。しかしそうでなくては成り立たない商売でも、ある。
「いっそ他の街行くか?面倒無しの遺跡巡りってのもたまにはいいだろ」
「あー、腕力勝負って奴だな」
「それを言うなら出たとこ勝負、でしょ」
「ファンらしいがのう……」
 その時、扉が軋んで一つの小柄な人影が入って来た。
「こんにちはーっ」
 昼下がりの静謐を叩き割るような陽気な声に、相変わらずのファンを除く全員が一斉に、胡乱な顔をそちらに向けた。
「あ、いたいたー」
 そんな顔にも気付かないように、ててて、と小走りに寄って来る姿は誰もがまだ忘れていないもの。むしろ忘れたがっている者もいたかもしれない。
「今日からあなたがたに付いてきますのでふつつか者なれどどうぞ宜しくお願い致します」
 テーブルの脇に辿り着いた途端に、一息に言ったものである。一瞬の静寂が周囲を支配する。
「はぁ!?」これは全員。
「いや、ですからついてきます、って」
「そうじゃなくて!あんたウチはいいの?」
「後事は使っていた者に託して来ました。信用のある人だから大丈夫ですよ──それに、私にはもう、その資格は無いから」
 勢いが消え、床に目を落として少女は言った。
「お姉様があんなに苦しんでいた事にも気付けなかった。合わせる顔もないんです」
「だからって──」
「それよりっ!」
 また声に強い調子が戻る。
「あの呪詛だかなんだかでお姉様を誑かした輩を叩きのめして差し上げるのです!皆さん一所に留まり続けるようなタイプの閑人じゃなさそうですから、一緒に行けばいい事あるかなって!さあ悪の秘密結社目指して出掛けますよ!」
「勘弁してくれ……」
 誰とは無しに呟く。厄介事の方もまた、彼らに纏い付く癖があるらしい。
「あれ、あのカチューシャはどうしたんですか?」
 何気なく目を止めたラピスが言った。定位置にあったはずの猫耳が見当たらない。
「え?ああ──いいんです、これで」
 少し哀しそうに微笑んで、少女は言った。
「ほらほら、そんな事はいいからさっさと動く!」
「えー」
「うむ、運動は身体に良いからのう」
「目的がちょっとアレ過ぎない?ねえ……」

 周囲の喧噪を気にする風もなく、窓際でミケが寝返りを打つ。
 騒々しくも少し物憂げな、暖かい午後だった。

fin.





  あとがき

 68通信を初めて手に取って下さった方は初めまして。見知られている方にはこんにちは。皐でございます。
 さて、今回は珍しくもSSです。私の場合、例年は某かを"描いて"投稿してきたものですが。まあ恰好のネタが転がっていたからとか、別にそういう理由じゃないですよ♪……なるほど、とか言わないよーに。まあ一応描く物は描いたし。しかしSSにした所で短いですね。すみません。手短にまとめるも能力の内と申しますが、どうにもまとめ過ぎる嫌いがありますよって。
 それはともかく。いちおーこれは私の(公開する)初ノベ作品であったりもするので、随所に至らぬ点の多々あるとは思いますが、何卒御容赦下さいますよう御理解と御協力をお願い致します。苦情等はジャ■やA●より前に皐に申し立てて下さいねー。

 ところで。実はこれ、夏休み中の68合宿にて催された、さるTRPGセッションを元に執筆されたものなのです。
 TRPGとは「Tabletalk Role Playing Game」の略でして、プレイヤーが各々のキャラクターを演じる事で展開させる、文字通りの「卓上演技ゲーム」なのです。本来のX68の活動とは少し離れる事となりますが、これもまた一つの立派なゲームの形ですから(笑)。心情より状況/行動描写が多いとか、進行が時間軸通りとか、伏線が無いとかいうのはそういう都合もあったりするわけで。ぎゃあ。
 使用したルールは『ソードワールドRPG』ですので、これを御存知の方にはまた違った読み方をして頂けるかと存じます。でも、専門知識は無くても読めるものに(努力)したつもりです。難しい理屈や予備知識なんざ要りません。雰囲気は適当に肌で感じ取って下されば結構です。お時間のある時にでも気楽に読んで下されば嬉しいのであります。
 ちなみに、私もプレイヤーの一員としてこの物語に参加していましたが、さて誰を演じたのでしょうね。分かった方は正解と今週のキーワードを書いてご覧の宛先まで♪(嘘

 最後になりましたが、この物語の骨子たるシナリオを作成されたTIMA氏、及び参加していたプレイヤー諸氏にこの場を借りて感謝申し上げます。
 ではまた何処かで。
2002.霜月

追伸:
 こーいう所で影を薄くしない為にも、もっとロールプレイを充実させようね(笑)。設定に当ってキャラの性格が捕らえ難いというそんな独り言〜♪