物語作成における世界観の重要性』     4J岩本 

ゲーム、特にRPGなどを作る際に考えなければならないものとしてストーリーがあります。RPGというジャンルはロールプレイ、つまりプレイヤーがゲーム内における主人公の役割をになうゲームを表し、主人公がゲーム中に体験することとなる物語は非常に重要な意味を持ちます。RPG作者の中にはこの物語を作るのが大好きという人もかなり多く、彼らは様々な物語を考えているでしょう。

私もゲームではないが小説をよく書いており、物語作成は大好きです。とはいえ自分で作るだけではなく、他の人が考えた様々な物語もよく読んでいるのですが、最近それらに触れていて思うことがあります。この作者は世界観をちゃんと考えているのか? 物語作成をしているそこの君! 君は世界観をないがしろにはしていないか? キャラの設定や話の流れだけに気をとられていないか? 世界観がちゃんとしていない物語は張りぼての舞台でミュージカルをやることと同じ。君は自分の舞台をダンボールの背景で行っていない自信がありますか?


世界観とはなんですか?

 世界観とは一体何か? その答えは読んで字のごとく『世界の「観」方』です。なぜ世界観が重要なのかというと、我々が存在する現実世界の「観」方と物語内における空想世界の「観」方が全く異なるからです。

例えばよくゲームの物語内で登場するものに『魔法』があります。ファイアと唱えれば簡単に火が出るような世界です。こんな世界の文化と、魔法が存在しない世界の住人である我々の世界の文化が同じといえるでしょうか? そんな魔法が使えないからこそ我々の世界では『科学』という文化が生まれたのです。

これは簡単な例でしたが、文化のほかにも産業や生活水準、服装など、世界が異なれば全く違う背景がその世界にはあるでしょう。これらをまとめて世界観と呼ぶのです。


破綻した常識

 「人間は道具を使わないで空を飛べる?」 こんな質問を貴方がされたらなんと答えますか?当然「飛べるわけが無い」ですよね。ところがこの質問をゲームの世界の住人に尋ねたらどうなるでしょうか。某大作RPGの主人公は「ルー○を使えば街までひとっ飛びさ!」と言いました。

このように、世界が違うとその常識は完全に変わってしまいます。そのため、世界観を作るときはかならずその世界の常識について考えておかなくてはなりません。

 私が知っているある物語の話なのですが、その物語の舞台は魔法の国でした。そこでは怪我や病気も回復魔法で直すことが可能で、回復魔法を使える治癒者がこちらの世界の医者と同じ役割を果たしているようです。主人公は15歳の少女で田舎の魔法学校を落ちこぼれの成績で卒業した駆け出しの治癒者。ところが治癒者の多くは治癒を行う時に莫大な金銭を要求する心根の悪いものばかりで、主人公はそんな環境の打破のために行動するという話でした。さて、この話を聞いておかしく感じることは無いでしょうか。魔法学校の落ちこぼれの子供が使えるような回復魔法に価値はあるのでしょうか? たしかに私たちから見れば、回復魔法はどんな傷もすぐに癒せる凄いものです。ただし、「15歳の子供でも回復魔法が簡単に習得できる世界」において、回復魔法は凄い術でもなんでもないです。誰でも使える回復魔法をかけてもらうために大金を払う人なんて存在するとは思えません。これが、我々の世界における医者に対する考え(医術という凄い術を持っており、それを活用することでかなりの儲けを得ることができる)をそのまま治癒者という存在に適応してしまった結果、このような矛盾が発生するわけです。

 もう一度言いますが、我々の世界における常識と物語における常識は全くの別物です。その世界にいる人たちが物事をどのように考えるか、技術をどう使うかなど、様々なことを細部にわたるまでイメージして考える。これを行うための想像力が世界観を作る際には必要となのです。


知識は重要なのだ!

 世界観を作成するときに必要とするもの、その1つは少し前に述べた想像力。そしてもう1つは知識です。これは世界観の作成だけではなく、様々な設定を作る際に重要となります。

 私の知り合いに三国志の小説を書いてみた! といって私に読ませてくれた人がいます。しかし彼は三国志を多少かじっただけのようで、とても大変な物語となっていました。どのようにおかしかったかというと

 ・赤壁の戦いの話なのに、すでに魏・呉・蜀という勢力の名称が存在(まだないっすよ!)

 ・孫策や呂布が説明もなしに登場する(死人が登場している……)

 ・曹操軍が武装として銃を持っている(西暦208年に銃とな!)

少し考えるだけでこのような点がありました。三国志に詳しく無い方はこれを読んでもおかしいとは感じないかもしれません。しかし、知っている人から見るとこれは明らかにおかしいのです。もしどうしてもその設定を使いたいのならば、それが普通の三国志と違うことが明記されており、誰が呼んでもおかしいと思われる点がないようにしなくてはいけません。そのために必要なのが、その世界観に関わってくる知識なのです。

 私が結局のところ何が言いたいのかというと、自分の物語における設定(世界観に限らず)に関する知識は関連資料を読むなり、ネットで調べるなりしてしっかりと自分の頭に入れて置けということです。現実世界ならばいいですが、中世の世界ならばその時代の生活観や武器の種類、魔法に関する物語ならば魔法とはどのようなものなのかなど、さまざまな知識を持っておかないと矛盾が発生してしまうのです。せっかく物語を作ったのに、他人から何かを突っ込まれて返答に窮するなんてこと、あったら嫌ですよね?


世界観の使用法とまとめ

 ここまで読んでくれた方は、世界観の重要性を多少なりとも理解してくれたと思います。ですが、世界観を作ってもそれを使用する際に注意しなければならない点があります。それは、作成した設定の全てを物語中に登場させる必要は無いということです。様々な資料を調べ、綿密に作った設定を使いたいという気持ちもわかりますが、それは作者のエゴでしかありません。受け取り手は設定ではなく物語を楽しむことを目的としています。それなのに舞台背景や歴史を延々と語られても面倒だと感じるだけなのです。わざわざ設定の説明をしなくても、あなたが作った様々な設定はかならず物語に反映されるはずです。土台がしっかりしている家とそうでない家では、どちらがより安定しているか? それは考えなくてもわかるはずです。

 ここまで読んでも「適当でいいよー」と思っている方、もしかしたらあなたはそんなものがなくても素晴らしい物語が作れるのかもしれません。ですが、綿密に作られた世界観はその物語の輪郭をはっきりさせ、安定感を与えます。自分の作品を多くの人が共感し、理解してくれるものにしたいならば、世界観というものについて、もう少し考えてみてはいかがですか?