ビジュアルノベルの情報伝達

文責:ところてん
1.ビジュアルノベルの定義
ビジュアルノベルには大きく分けて二つの種類がある。一つは、かまいたちの夜やLVNSに代表される、全画面に文字を表示するタイプ、これを便宜上Type1とする。もう一つは、KANONやAIRなどに代表される、ウィンドウを開いてそこに文字を表示するタイプ、これを便宜上Type2とする。

2.それぞれの特徴
2.0
 両者に言えることとしては、小説とは違ってユーザーの入力にたいして、パラレルワールドを形成するということ。及びチューリングテストによる感情移入(自分がこう言ったら、相手はこう返した、自分に感情があるから相手が感情をもった答えを返すことを予想できる。だから相手は感情を持っているんだ。という理論)ができると言うことである。それにたいして、小説というものは主人公の近傍から第三者的な観測である。そこが大きな違いであると言える。
 また映画のような複合的な情報伝達手段であるといえる。これに付いては次で説明する。

2.1.Type1
 このシステムが一般に普及したのは、弟切草,かまいたちの夜がチュンソフトからサウンドノベルとして発売され、これから派生して、LeafがLVNSシリーズを開発したのがきっかけであろう。
 弟切草,かまいたちの夜は、キャラクターは輪郭のみの影絵で挿絵的な存在であった。全体としては挿絵の多い小説に臨場感を出すためのBGMと効果音が付随した、という形である。これがサウンドノベルという形である。
 LVNSにおいては、キャラクターは影絵からアニメ絵へ変更され、よりいっそう挿絵として分かりやすくなったが、背景が廊下、教室、といったレベルでしか存在せず、主人公の主観的な視線における背景というものは存在しないので、主人公がどこに居て、誰と話しているのか、というレベルの挿絵である。
 そのため、誰と話して、どこに居るのかということは文章に書かなくても十分に伝わるため、描写しなくてはならないことが減り、文章的にはかなり楽なものとなるが、相手が居るという情報までしか挿絵からは汲み取れないので、相手の存在情報以外の描写については一般の小説と同じ程度はやらなくてはならない。
 全体としては、相手の感情の描写を中心(主人公に近い神の目を持った第三者視点)とした小説と挿絵に臨場感を出すためのBGMと効果音が付随したという形である。

2.2.Type2
 このシステムはかなり古くから存在しており、アスキーアートによるアドベンチャーゲームまで遡るが、主にここ数年のものについて考えてみたい。背景の上に喜怒哀楽の表情をもったキャラクターがおり、その上にメッセージ用のウィンドウが開かれており、そこで会話をするという形である。ウィンドウ内のメッセージはあくまでも主人公の主観であるため、主人公の考えと、相手との会話以外は特に記述されない。
 そのため、主人公の考えと相手との会話(主人公の主観)に、相手の情報を持った絵に、臨場感を出すためのBGMと効果音が付随したという形である。

3.情報伝達とは
 他人に物事を伝える手段としては次のようなものがある。
 身振り、鳴き声、声、文字。
 また、これらを人間が受け入れるデバイスとしては、視覚と聴覚である。
 身振りというものは、視覚情報から相手の意図することを読み取る行為である。これには二つのものがあり、一つは"本能的"に分かるような行動と、もう一つはジェスチャーのような"文化的"に分かるような行動である。
 鳴き声というものは、聴覚情報から相手の意図することを"本能的"に読み取る行為である。
 声というものは、聴覚情報から相手の意図することを"文化的"に読み取る行為である。
 文字とは、視覚情報から入った情報を脳内で声に変換することによって、文章の意図することを"文化的"に読み取る行為である。
 実際には人間が情報を伝達する場合は、これらを複数組み合わせて情報伝達を行う。そのため、一方で情報が欠落していても、他方でそれを自然と補っている場合が多く、情報伝達は容易に可能である。しかし例えばChatなどは文字で声を表現するので(実際に話す場合は声(抑揚)と身振りが併用される)、往々にして勘違いが生じやすい。
 話は少々それるが、昨今のテレビ番組は、実際の人間同士の情報伝達にテロップという形で文字を付加し、全ての情報伝達手段を用いて情報伝達しているといえるが、これは過剰な情報伝達だと考える人も多く、問題となっている。
 これを用いてType1,2の考察を行う。

3.1.Type1
 Type1は文章と挿絵とBGM,効果音である。ということは即ち、文字と身振りと鳴き声である。しかしこの場合は挿絵はキャラクターの存在と背景しか示さず、身振りとしては今一つ弱い。そのため、文章でそれを補わなければならない。

3.2.Type2
 Type2は要素的にはType1と同じであるが、身振りについては、キャラクターがころころ表情を変えるため、十分に伝えることができる。さらに、スプライト制御などでキャラクターを動かすことにより、キャラクターの動きを示すことができ、即ち漫画的であるとも言える。

4.文章による情報伝達
 文章を次のように定義する。「文字によって構成された有意情報であり、前後に文字が連結しているもの」とする。このように定義された場合、ビジュアルノベルの文章は定義を満たさない。ユーザーがクリックするまで次の文字を表示しないということは、そこで文章が終わっているということであるからだ。なるほど、本もページをめくるまでは次の文字が読めないではないか、と言われるとその通りである。しかし、ユーザーが読むためにアクションを起こさなければならない回数を考えると、本は十分に文章になっていると言える。
 なぜこれが問題かと言うと、ユーザーが行う純粋に読むと言う行為を阻害するからである。たしかに時間軸を表現するためにはそのシステムは有効ではあるが、しかし本来(小説では)そう言ったものは読者の頭の中で形成されるものである。即ち、読むという行為第一に持ってきたい場合は、どうしてもアナログ媒体の小説にならざるをえないと考える。逆に言えば、ビジュアルノベルは絵音文、全てが複合したメディアであるため、読むということを第一にもってきてはいけないと言うことである。

5.書き手の問題
 以上のようにビジュアルノベルの特徴を述べたが、これを理解した上でシナリオを作成しているところは非常に少ない。文章量を宣伝材料にしてしまった某同人サークルがいい例である。小説に絵が付いただけと言うような考えで書いていたのだと思う(私は○姫は設定が素晴らしいだけで、文章はたいした事は無いと考える)。これらを理解して作成していたのは、かまいたちの夜,アトラク=ナクア程度ではないだろうか。
 また、シナリオを複数人で書くと言うことも常套手段となっている。ユーザーの入力に対して、パラレルワールドを展開せざるを得ないビジュアルノベルにおいて、パラレルワールド間の交信というものは存在しないため、それぞれが独立している。したがって、それぞれをそれぞれの人が書くことができるが、私はそれが問題だと考える。
 以下は若干ネタばれなのだが、Kanonを例に出すと、「あゆ、名雪、栞」と「まこと、舞」はライターも別だし、シナリオ的にも独立している。前者はあゆの奇跡によって救われ、後者は自分自身の奇跡によって救われている。即ち、あゆの奇跡を前面に打ち出している以上、後者のシナリオは無くてもなんら問題は無い。これは最低限の設定だけ与えて、あとはシナリオライターの好きなようにやらせようというKeyの体制の問題でもあるが。

6.まとめ
 まだまだ新しい分野でなおかつ小さい業界であるため、なかなか発展しないのは仕方ないことだと考える。良いと思える作品も非常に少数である。商業的な面が前面に押し出される形となるため、どうしても作品としての質は落ちるし、適当にエロ画像を突っ込んでおけば売れるや、という考えが事実である。しかし、表現の手段としてはコンピュータができて初めて生まれたものである。従来の情報伝達手段と比べると、利点もあれば欠点もある。それらを理解した上で製作してほしいものと考える。

--------------------キ リ ト リ-------------------------
 以上が前置きでここからが私の本当に言いたいこと。
 結局ビジュアルノベルを褒め称える連中って言うのは、それしかやっていない連中なんだよな。
 KANONを代表とする泣きゲーが売れたのだって、従来のエロしかないエロゲをやっていたコミュニティに対して、異質な情報が入り込んだから受けたのであって、実際にはそれほどすごいわけじゃない。
 なるほど、私はエロゲ以外にも本を読んでいるから決してそう言うわけじゃないと。では、あなたは今年一年で何冊のラノベ以外の小説を読みましたか? もちろんそれが悪いわけではないが、そろそろワンランク上の本を読むべきではないだろうか。いつまでもラノベとエロゲのレベルで満足しているのですか?
 「ビジュアルノベルは小説のような文章ではいけない、文章,音,絵の複合的なものであるべきだ」と前述しているのに、何故小説とビジュアルノベルを比較するのか、という意見もあるだろう。しかし、あなたはビジュアルノベルを"作品"として見ていますか?そして、作品をやった以上、それに対して評価(批評)をしていますか?単にCGを埋めるだけのゲームだと思っていませんか?
 CGを集めるのが目的と化してしまったシステム、安易なゲーム性を与えるための無駄な選択肢。チューリングテストによってプレイヤーの感情移入を誘う無駄なダミー選択肢(文章屋の力量不足でこうせざるを得ない)、etc....
 私は"作品"と思えるようなビジュアルノベルに出会ったことはほとんどありません。これからもそのようなものに出会うのはごくわずかでしょう。